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藝術と日常の物語

今夜は電気を消して・・・

私は毎朝、毎晩、瞑想をする。朝は近くのお寺まで散歩に出かけ、お参りしたあと、境内のベンチに座り、朝のキラキラしたやさしい太陽の下、鳥たちの囀りを聞きながらしばし瞑想をする。

夜は眠る前に、すべての電気を消して、キャンドルに火を灯して、静寂の中で瞑想をする。朝はスイッチをON、夜はOFFにするひとつの習慣みたいなものだ。

瞑想の時以外でも、疲れたときに電気を消して、暗闇の中で揺れるキャンドルの炎をみつめる時間を作るようにしている。暗闇が目に見える世界を沈め、内側の世界に入っていく、その繊細な感覚がなんとも言えなく心地いい。

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 気づけば、世界中の夜がどんどん明るくなっている気がする。その明るさにときどき耐えられなくなる。夜を照らす人工の光の影響から逃れることは、現代に生きる私たちにとってほぼ不可能に近いから、まさに「光害」だ。

街灯や店の明かりというのは、日本の場合どんな場所へ行っても必ずある。贅沢な話だけれど、からだのスイッチがOFFになりづらくて、神経がピリピリするときがある。きっと自然のリズムに反しているからだ。

 

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私たちが何の明かりも持たずに夜道を歩けるようになったのは、約350年前、1667年にルイ14世がパリの街路にランタンを吊り下げるよう命じた勅令にまで遡る。その後18世紀末までには北ヨーロッパの都市で公共の街灯が整備されたという。それまでは穴や溝にハマったり、段差に気づかず転んだり、海や川へ落ちたり、暗がりで襲われたりして怪我をしたり死んだりするなど、夜道を歩くことは危険な行為だったそうだ。

その当時のことを思うと本当に私たちは恵まれている。

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昔読んだ短編で、とても好きな作品がある。ジュンパ・ラヒリの『停電の夜に』。毎夜1時間の停電の夜に、ロウソクの灯りのもとで隠し事を打ち明けあう若夫婦の話。

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午後八時から九時まで、吹雪でやられた電線の復旧工事のため、一帯が停電になるという。それも、五日間。午後八時といえば夕食の時間だ。このところ顔をつきあわせるのを避けつづけ、食事さえそれぞれの部屋で勝手に済ませてきたふたりも、暗闇のなかでは食卓に留まらざるをえない。弱々しい蝋燭の光を頼りに食事がはじまると、妻が突然、いままで黙っていたことを告白しあいましょうと提案する。

過去の重石をひとつずつ取り払っていく打ち明け話にも、危機は早晩乗り越えられるというかすかな希望が込められているようで、じっさい闇のなかの対話は新しい習慣を生み出し、ふたりの距離を縮めそうな気配を漂わす・・・。

しかし、五日目の晩も彼らは蝋燭を灯して告白ゲームをつづけるが、蝋燭が尽きそうになったところで妻はそれを吹き消し、今度は電灯をつけて話したいと言って、いきなり別れ話を持ち出す。

本当に何気ない夜の短い話なのだけれど、停電の夜の美しさが心に残る魅力的な作品だ。

さてさて、 今夜はテレビも電気も消して、大切な人と蝋燭の明かりだけで過ごしてみてはどうだろうか。『千夜一夜物語』のように、想像力を働かせて一人ずつ物語を語るのも悪くない。