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藝術と日常の物語

2021年のお正月

小さい頃、初夢を楽しみにしていた。初夢でその年が良い年かどうか占うという風習に、胸をドキドキさせながら、祈るように眠りついたものだ。今年はというと、すっかり初夢のことを忘れていて、たぶんとっても普通の夢だったとしか思い出せない。

 

初夢は、文献では、鎌倉時代の『山家集』春にあるはじめて登場するらしい。

 

“年くれぬ 春来べしとは 思ひ寝む まさしく見えて かなふ初夢”

 

昔は、立春を新年としていたので、節分から立春の夜に見る夢を初夢としていた。初夢に見ると縁起が良いものを表すことわざに「一富士二鷹三茄子(いちふじ にたか さんなすび)」がある。富士と鷹は理解できるが、茄子がなぜ?とずっと疑問に思っていた。昔はインターネットの検索サイトもないので、疑問を抱えたまま、結局、今に至っている。

 

お正月の楽しみといえば、初詣とおみくじ。今年はコロナ禍ということもあり、自粛を求められていたけれど、ここ10年間、1月3日に必ずお参りしている富士浅間神社に、友人と最大限の注意を払いながら初詣に出かけた。

もともと混雑する神社ではないけれど、今年はやはりいつもよりも人出は少なく、閑散としていた。

 

澄み渡った青空に聳え立つ雄大な富士山に合掌。暖冬のせいか、山頂の雪が少なく、気づくと様々なところで、「当たり前」が消えていく。

 

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おみくじは当たらないと思いながらも、正月の風物詩だからとついつい引いてしまう。

今年の結果は・・・『中吉』。なんとなくモヤモヤ。

そういえば、小学生の頃、鎌倉の八幡宮に家族と初詣に出かけ、おみくじを引いたことがある。その時のことを今でも鮮明に覚えている。なぜかと言えば、私が引いたおみくじが『凶』だったから。

家族の中に漂う、なんとも言えない重苦しい雰囲気と心の中にズシリと黒く重いものが、しばらく私の中に残っていた。単なるお遊びだとわかっていても、案外、人は傷つくものだ。

 

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今年は年始早々、非常事態宣言が再発令され、再び、不安や心配が世の中に蔓延しはじめている。

人間はこんなにも弱く、頼りの社会システムも、心もとないものであることを痛感した。このような事態が起こったとき、必ずといっていいほど、弱者にしわ寄せがいき、切り捨てられていく。

 

新型コロナウイルス感染症のため都市封鎖された中華人民共和国湖北省武漢市の様子を、封鎖開始の2日後の1月25日から3月24日までの60日間、毎日綴った『武漢日記』をブログで公開した方方さんの言葉が忘れられない。

 

“ひとつ国が文明国家であるかどうかの基準は高層ビルが多いとか、車が疾走しているとか、武器が進んでいるとか、軍隊が強いとか科学技術が発達しているとか、芸術が多彩とか、さらに派手なイベントができるとか、花火が豪華絢爛とか、お金の力で世界を豪遊し、世界中のものを買い漁るとか、決してそういうことがすべてではない。基準はただひとつしかない。それは弱者に接する態度である。“

 

明けない夜はない。私たち人間はいま、試されている。変われるか、変われないか。

 

昨年の12月22日に風の時代に変わり、これから世界は大きく変容していく。自分の中心軸をしっかりと据えて、変化の風に翻弄されないような自分づくりをしていこう。そして、私たちはみな、つながっていることを思い出そう。

 

<お知らせ>

1月29日(金) 第45回サステナ塾の開催

 第45回サステナ塾 地の時代から風の時代へ 世界を変えるまなざし ~風の読み方~ (2021年1月29日金曜20時~)