無為自然な暮らし方
世の中が変わる乱世の時代、自分自身のあり方の思想といえば、老子と荘子が有名だ。合わせて「老荘思想」と呼ばれ、儒家の礼や徳の重視を人為的な道徳として否定し、「無為自然」を説いた。
さまざまな自然現象を比喩として、無理することのない伸びやかな生き方、力みのない自分という存在の生かし方が語られている。
高いところから低いところへ流れ落ち、器によって形をかえる無色透明な水は、どこへでも行き、形が無い存在なのに、長い年月をかけて、岩のような硬いものも砕く。柔らかでありながらも、じつはしなやかな強さをもつ水は、わたしたち人間のあり方によくたとえられる。
老荘思想の根本の思想が「無為自然」という考え方で、すべてのものが自然から授かり、その為に自然に生き、自分の心と自然を一体にして、無理せず、心安らかに、幸せに生きることを目指した。
頭で考えたつもりになっている状態の「作為」を捨て、「無為自然」に反しない生き方は、老子の思想を支える重要な概念である「道」に集約されている。
道とはどんな定義にも収まらない生命原理であり、全ての命がそこから出てくるものだ、と言える
混沌として一つになったエトヴァスが、
天地開闢の以前から存在していた。
それは、ひっそりとして声なく、ぼんやりとして形もなく、
何ものにも依存せず、何ものにも変えられず、
万象にあまねく現れて息むときがない。
それは、この世界を生み出す大いなる母ともいえようが、
わたしには彼女の名前すら分からないのだ。
仮に呼び名を道としておこう。無理に名前をつければ大とでも呼ぼうか。
この大いなるものは大なるが故に流れ動き、
流れ動けば遠く遙かなひろがりをもち、
遠く遙かなひろがりをもてば、また、もとの根源に立ち返る。
『老子』第25章
エトヴァスとは、ドイツ語で「何か」という意味で、英語なら「サムシング」。名前のつけようのない「何か」に、あえて言葉を与えたのが「道」という表現だ。いいかえれば「万物の根源」、「自然の法則」と言えるかもしれない。わたしたちの感覚を超えた大きな何か。わたしたちはこの「何か」の力によって生かされている。
「道」は、鳥たちのさえずり、木々を揺らす風、形を変えながら浮かぶ白い雲のような、一見何気なく感じられる日常の中の風景に潜んでいる。それを言葉にして伝えることは難しく、言葉にしまうといつの間にか消えてしまう。
わたしたちが「無為自然」になったとき、心をオープンにしたとき、「道」はそっと姿を現してくれる。
先入観や何かにとらわれることなく、水のように生きることはとても難しいけれど、少しだけ立ち止まり、深呼吸をしてみると、今まで気づかなかった鳥のさえずりや木々の葉を揺らす風の音が聞こえてくる。
そんな時間を少しでもいい。毎日の暮らしの中に取り入れてみると、見える景色、感じるものが次第に変わってくる。
Sense of wonder。世界は不思議さと驚きに満ちているのだから。
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