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藝術と日常の物語

星野道夫『旅をする木』

 写真家、故星野道夫に魅かれて彼の著書『旅をする木』を読んでいる。1999年に出版され、今年で第52刷という、多くの人から愛されている名著だ。

1997年に公開された、龍村仁監督の映画『ガイアシンフォニー第3番』の中ではじめて、アラスカの自然を撮り続けた星野道夫と出会い、24年の時を経て、最近、再び『ガイアシンフォニー第3番』を観る機会を得た。

驚いたのは、最初に観た時と感動の深度がまったく異なっていたことだ。「生きること」と「いのち」の重さをずしりと感じ、その重さの中に美しく、愛おしい魂の輝きを痛いほど感じたのだ。

自分がいかに薄っぺらで、危うい平和もどきの社会の中で、「精一杯生きている振り」をしているのかを思い知らされ、正直、恥ずかしささえ感じた。

 

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星野道夫の写真

 

旅をする木』には抱きしめたいような言葉がたくさん書かれている。だから何度でも同じところを読み返したくなる。何度も、何度も。

 

カリブーの仔どもが寒風吹きすさぶ雪原で生み落とされ、一羽のベニヒワがマイナス50度の寒気の中でさえずるのも、そこには生命のもつ強さを感じます。けれども、自然はいつも強さの裏に脆さを秘めています。そして、ぼくが魅かれるのは、自然や生命のもつ、その脆さの方です。

日々生きているということは、あたりまえのことではなくて、実は奇跡的なことのような気がします。”

                                                                                                    「旅をする木」より                      

 

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星野道夫著『旅をする木

人工物囲まれ、守られた生活をしていると、生存本能や本当の自然の姿から遠ざかってしまい、本来、人間が持っているはずの原初的感覚をどんどん失ってしまっている。そして、私たちはますます孤立していく。

「人間は、ある限界の中で生かされている。私たちはそのことを忘れがちである」と、星野は言う。

その限界を超えようとして行っていること(誤ったテクノロジー開発や過度のグローバル資本主義経済)が、ますます混乱を引き起こしている。私たちは「限界」をもっと謙虚に受け止め、不合理で重畳で、無駄が多く、混沌に満ちあふれ、危ういバランスの上に、かろうじて成り立っている流動的なこの自然の中で、どのように、この「いのち」をつないでいったらよいのかを考えなおすときがきている。

私たちがもつ“Sense of wonder”(神秘さや不思議さに目を見はる感性)を思い出し、自分たちの生命力を信じ、今までの既成概念から自分たちを解き放てば、世界はもっと輝いてみえるはずだ。

 

<アート思考入門講座開催日>

12月6日(月)・17日(木)・2022年1月7日(金)・13日(木)・17日(月)・19日(水)

https://peatix.com/event/3082377/view?fbclid=IwAR3SWt92fU9EHyuC_20Xll7xPNRffSjTKdPKZNT_TlbacMH8kSFgj5g1JGY