Philoarts フィロアーツ 

藝術と日常の物語

切られた木

近くの環状八号線沿いの街路樹が無残にも切られていた。

あまりの悲しさに、その場で茫然と立ちすくんでしまった。

まるで木の無残な切り口から血が滴り落ち、木の叫びが聞こえてくるようだった。

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切られた木

70年ずっとこの地で育った方とお話をさせていただいたとき、昔、環八沿いはきれいな銀杏並木だったと教えてくれた。

秋には通りが黄金色にかがやき、それはそれは美しかったと、その方は懐かしそうに語ってくれた。

銀杏の木々は通る人の目を楽しませてくれ、葉が落ちた後のぎんなんの実は、食べ物となって食卓を豊かにしてくれた。

しかしある時、葉が落ちたあとの清掃が大変だということで、すべて銀杏の木は伐採されてしまったそう。

街路樹を植えて美しい通りにしたいと思い銀杏の木を植え、落ち葉の処理が面倒になったらすべて切ってしまう。

この傲慢極まりない人間の仕業を、自然を作った神様はどんな思いで見ているのだろう。

不便なものや不要なものは人間の都合に合わせて切り捨てていくという身勝手さは、この現代社会の行き詰まりの原因でもあり、今回のコロナウィル感染の1つの原因にもなってるような気がする。

ちなみにドイツでは街路樹など、幹まわりが50cm以上の樹木は、公共財産とみなされ、勝手に切ってはいけないという法律があるそうだ。この違いはどこからくるのだろうか。

 

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人間と自然は対峙するものではない。なぜなら、人間は自然から生まれ、自然の深い懐の中で生かされているから。

私たち人間はもっと謙虚になり、自然を見習い、自然のリズムを大切いして生きなければならない時にきている。

それが私たちの唯一生き残る道であり、社会、世界、地球のRegeneration(再生)につながる道であると、私は思う。

 

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