Philoarts フィロアーツ 

藝術と日常の物語

変えられるものと変えられないもの

新型コロナウィルスの感染が拡大する前の朝のホームは、電車を待つ人であふれかえっていた。

電車が到着すると人々は電車の入り口に吸い込まれ、どこかに運ばれていく。そしてホームは空っぽになる。するとまたどこからともなく人が集まり、再びホームに人があふれ、電車が来ては吸い込まれ、どこかへ運ばれていく。

おきまりの朝の風景。

 時々、様々な理由で電車が遅延すると、何人かの人はイライラしたり、ソワソワしはじめる。

何度か時計を見ては、身を乗り出して、電車がくる方向をじっと眺め、そしてまた時計を見る。不安やイライラを解消するかのように、この一連の動作を何度も繰り返しては、イライラする。

そんなことをしても、電車が早く到着するわけでもないのに。

 

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私もせっかちな方なので、早く来ないかな・・・とソワソワして無用なストレスを溜めてしまう方だ。

何度、時計を見ても、何度、身を乗り出してみても、電車には何の影響も与えることはできない。逆に、ストレスが溜まり、とげとげしたエネルギーを周囲に発して、結果的にあまりよい時間を過ごすことができなくなる。

ビルのエレベーターもそうだ。無常にも目の前で扉が閉まってしまったとき、悔しまぎれに何度もボタンを押してしまうことがある。まるで、何度も押したら早くエレベーターが来るかのように。

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電車もエレベーターも、自分ではその状況を変えることはできない。

自分では変えることのできない状況に抵抗するのではなく、その状況を受け入れ、心穏やかでいたほうが、よっぽどしあわせでいられる。

 今、たくさんの制約が課され、不安やストレスが溜まることも多いけれど、こんなときは、自分で変えられるものと変えられないものを見極めることが大切だ。

もし自分では変えられないものならば、流れに身任せてみる。変えられることなら思い切ってやってみる。やるだけやったら、あとは、天にまかせてみよう!

しあわせは、自分で作ることができるのだから。