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藝術と日常の物語

「ロンリネス」と「ソリチュード」2つの孤独

今日は成人の日。

昔は1月15日と決まっていたので、11日が成人の日と言われても、どうもしっくりこない。やっぱり、私にとって成人の日は1月15日なのだ。

 

成人の日が1月15日と決まったのは、どうも満月と関係があるらしい。

昔は、「元服の儀(奈良時代以降、男子が成人になったことを示す儀式)」が、新年最初の満月に行う風習があった。自然を敬う人々の祈りと感謝の心が祭事となっていたのだろう。心の豊かな時代だ。

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法律では「成人の日」は、「おとなになったことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を国民こぞって祝いはげます日」と定義している。

 

なるほど・・・・では「おとな」とはいったい何なんだろう?

おとなと子供の境界線は年齢以外にあるのだろうか?

自分はいつから、おとなのとしての自覚が芽生えたのだろう?

 そんなことを考えていたら2つのことばがふと思い浮かんだ。

「ロンリネス(loneliness)」と「ソリチュード(solitude)」。

この2つの言葉はどちらも英語で「孤独」を意味する。

 

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ロンリネスは、日本語の「ひとりぼっち」を意味する。誰にも頼ることが出来ず、たった一人で不安で寂しい気持ち。

それに対して、ソリチュードは一人で世界と向かい合い、心が静かに満たされていく孤独。「個」でありながらも、「全体」であることを知っている。

「おとな」とは「ソリチュード」を学ぶことなのかもしれない。人生の荒波を乗り越え、様々な経験をしなさい!と送り出される日、それが成人の日だとすると、飲んで騒いで、自己主張している場合ではない。

 

今、コロナ禍の中で、多くの方が「ロンリネス」の状態になっている。日本では、「孤独は自己責任」と考えられる傾向がある。だから社会システムも弱者に対してとても冷たいように感じる。

私たちはまず、社会は不平等である、ということを知らないといけない。生まれた環境が貧しいとなかなか豊かになれない。そんなの甘えだろう、という人もいる。それもあるかもしれない。でも、現実は冷たい。一度、「普通」の道から外れてしまうと、なかなか「普通」に戻ることができない。そういう社会システムになっているのだ。

もし、まわりに困っている人がいたら、孤独な人がいたら、ただ傍らで寄り添うだけでいい。話を聴いてあげるだけでいい。忘れないであげてほしい。無関心ほど孤独を深めるものはないのだから。

 

 成人の日、大人になった私たちは、もう一度自分がどんな人間になっているか、どんな大人になっているか、見つめ直して欲しい。そうすると、成人の日はもっと意味あるものになるだろう。