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藝術と日常の物語

人生年表を書いてみた

やりたいことは山ほどある。あれも、これも、それも、これも・・・。しかし、実際にやろうとするとなかなか進まない。

昔の手帖を見て愕然とするのは、5年前に掲げた目標を、まだ達成できていないことだ。

後回しにしたり、先延ばしにしてしまい、結局、達成できていないのだ。人生半分以上過ぎているのに、いまだに、時間は未来永劫続くように思っている自分がいた。

 しかし、確実に人生はロウソクのように、次第に短くなり、あと、どのくらい残されているのかもわからない。

 この夏、日本列島はとても暑く、体も心も疲弊していたせいか、ある考えが頭から離れなくなってしまった。

それは、あとどのくらい時間が残されていて、その時間の中で自分は何ができるのか?

実際に人生年表まで書き、残された人生を俯瞰してみた。私の人生がA4の用紙に収まり、年齢を刻んでいくと、健康で、今のようにエネルギッシュに活動できる年月は、そう長くないように思われた。

急に体と心がキュンとなって、年老いた自分の姿が現実味を帯びて、私に迫ってきた。

同時に焦りと不安が一気に押し寄せ、しばし絶望に似た感覚に襲われた。

 時々訪れる駅前のドトールで、昔からよく会うお年寄りのグループがいた。楽しそうに4,5人女性ばかりが集まって、世間話をしているのだが、年々、一人減り、二人減り、最近ではほとんど姿を見掛けなくなってしまった。

先日、その中の一人のおばあさんが、久しぶりに手押し車を押してドトールに入ってきた。「お久しぶりです」。私が声を掛けると、おばあさんはうれしそうに私の隣に座り、堰を切ったように、しばらくずっと一人で話をしていた。

話によると、一緒にいた人達は亡くなった人もいれば、認知症になってしまった人もいて、もう集まれなくなってしまったらしい。整形外科に来るついでに一人でコーヒーを飲みに来ているが、昔、体育の先生をしていて、体には自信があったが、骨折をしてから歩くのが不自由になってしまったと。

 そして、話の終わりにおばあさんはこう私に言った。

「夏はまだいいの。秋から冬はすごく寂しくなるの。なんとも言えない孤独を感じるのね。だから、よかったら時々、一緒に話をしてくれないかしら」

82歳でずっと独身で一人暮らしをしている一人の老女と、ずっと一人暮らしをさせてしまった母の姿が重なり、胸が熱くなった。

「ときどき話、しましょうね」

「お願いね」

 人は生まれてくるときはたくさんの人に祝福されて生まれてくる。しかし、人生が終わりに近づき、なお祝福される幸運に恵まれる人は少数で、多くの人は漠然した不安の中で生き、人生の最期に、誰にも看取られずに死んでいく人もいる。

 この国に必要なのは、安心して過ごせるコミュニティーだと思う。お互いに支え合い、慈しみ、思いを共にして笑いながら日々過ごせる仲間がいる。

それだけで、人は生きる力をもらえる。

 私は、しっかりと人生年表に「コミュニティー作り」と書き込んだ。そして

先日合宿をした常陸太田市里美地区の人たちのことを思い出した。

懐かしい未来を、里美の人たちと作り上げていく。そんな未来を描きながら。

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